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Production Note

狙われた企画の立ち上がりは数秒だったー

1988年、テリー・ギリアム監督の『バロン』が公開された時、監督はプロデューサーの一人、ジェイク・エバーツにある提案を投げ掛けた。ギリアム監督は「私はジェイクに電話し、こう言った。「二つの名前を言うよ。一つはドン・キホーテで、もう一つはギリアムだ。それから2000万ドル必要だ。」ジェイクは「了解!」と答え、話は簡単にまとまった。しかし、数週間後、2部作を読み終えた私は、これを映画化することは不可能だと悟った。だから小説に頼ることなく、「ドン・キホーテ」のエッセンスを捉えた物語を語る映画ならどうだろうと自問してみた」と振り返る。

そしてギリアム監督は、生意気な若いコマーシャル監督トビーというオリジナルのキャラクターを作り出し、トニー・グリゾーニと共に脚本を完成させた。2000年にクランクインしたが、すぐに撮影は中止となり、世に広く知られている通り、この企画は停止状態となる。そして2009年、ギリアム監督とグリゾーニは脚本を大幅に書き換え、大きな進歩を遂げた。以来、脚本家チームは多くの微調整を繰り返してきた。「平均して年2回、脚本を書き直した。もっとかもしれない。その回数は、再び撮影に入れる可能性があるかどうかで決まった。チャンスがあるたびに、テリーから電話がかかってきた!そして今、本当に素晴らしい脚本が出来上がった」とグリゾーニは胸を張る。

History

1988
映画『バロン』公開
巨額の製作費を掛け、イタリアのチネチッタ撮影所に巨大セットを建設した本作だったが、様々なトラブルを乗り越えての公開だった。本作完成後、すぐにギリアム監督は「ドン・キホーテ」企画への意欲を示す。
1998
プリ・プロダクション開始
ヨーロッパ資本で、当時のヨーロッパ最大規模3120万ドルの予算を集める。
2000
9月
クランクイン
場所:スペイン・マドリード
初日:撮影地がNATO軍用地に近く、戦闘機の音で録音出来ない事が発覚。
二日目:大雨が鉄砲水を起してしまい撮影機材が流され、ロケーションも変わってしまった為初日の映像が使えなくなった。
数日後:ロシュフォールが乗馬で腰痛を発症し、パリに戻ってしまう。
11月
撮影中止が決定
保険会社が、1500万ドルの保険金を支払うことに。
脚本の権利が、保険会社に移る。
2002
映画『ロスト・イン・ラ・マンチャ』公開
2003
再び、ギリアム監督が「ドン・キホーテ」企画に挑戦する噂が流れる。
2005
カンヌ国際映画祭で、『ローズ・イン・タイドランド』プロデューサーのジェレミー・トーマスが、プロジェクト再始動に意欲的との報道が出る。ギリアム監督が、主演にジェラール・ドパルデューの名前を挙げる。
2006
7月
フランスのプロデューサーや、ドイツの保険会社との権利問題がクリアになる。
ギリアム監督は、ミュンヘン国際ドキュメンタリー映画祭で、作品権利が自分に戻る予定で、ジェレミー・トーマスも意欲を持っていると発言。
8月
『ローズ・イン・タイドランド』記者会見中に、ギリアム監督から、脚本の権利が近々監督に戻る予定と発言。
2008
再び、プリ・プロダクションが開始される。
11月
ギリアム監督が、キャスティングを完了したと発言。
12月
ロバート・デュバルが、自身がドン・キホーテ役に選ばれたと取材に答える。
ギリアムはこれを認め、ジョニー・デップの出演を想定とも発言。
しかし、ジョニー・デップは自身のスケジュールに「ドン・キホーテ」の撮影が入る余地はないと発言。
2009
1月
再び、プリ・プロダクションが開始される。
権利が戻ったことを受け、ギリアム監督と、グリゾーニは脚本の再執筆に入る。
8月
ジョニー・デップの降板発表。
2010
5月
ユアン・マクレガーの出演発表。
9月
ギリアム監督が取材で、資金繰りの問題で再撮影が止まっていると発言。
2011
ユアン・マクレガーの降板が報じられる。
2013
『ゼロの未来』プロモーション時に、ギリアム監督が、「自分の計画では、「ドン・キホーテ」に関して、現実味のある話は何もない。最近では「今回、うまくいかなかったら見限るぞ」と思い始めている。この仕事をするのに人生の多くを無駄にしすぎたよ」と発言
2014
1月
ギリアム監督が、自身のFacebookにコンセプトアートを投稿。
後日、取材で同年9月から制作が始まる予定と明かした。
8月
ギリアム監督が取材で、資金確保と脚本が変わったことを明かす
9月
ジョン・ハートが、ドン・キホーテ役に決定したと報道が出る。
2015
アマゾン・スタジオが、本作の劇場公開を発表。
クランクイン直前、ジョン・ハートの膵臓がんが発覚。映画制作が中止に。
2016
5月
カンヌ国際映画祭で、ギリアム監督が同年10月クランクインと発言。
アダム・ドライバーとオルガ・キュリレンコの出演も明かし、新たなコンセプトアートも公開された。
10月
プロデューサーのパウロ・ブランコから資金確保の失敗による制作延期が発表。
これを受けてギリアム監督は、「映画が死ぬ前に、自分が死ぬんじゃないか」と発言。
2017
3月
クランクイン
6月
ギリアム監督が、自身のFacebookでクランクアップを発表。
最初のクランクインから17年掛けての撮影終了となった。
11月
完成間近であることを、ギリアム監督が明かす。
2018
5月
フランス公開。
カンヌ国際映画祭で、クロージング作品としてプレミア上映。
6月
スペイン公開。
権利問題に関する判決が出て、ギリアム監督の映画化権が剥奪。
世界各国での上映が白紙に。
12月
スクリーン・メディア・フィルムズが北米配給権を獲得。

ドン・キホーテ(ミゲル・デ・セルバンテ)

スペインの作家ミゲル・デ・セルバンテスが、1605年に前編、1615年に後編を出版。“騎士道物語”を読みすぎたために現実とイマジネーションの区別がつかなくなった男が、自らを遍歴の騎士「ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」と名乗り、冒険の旅に出る物語。

文学者による評価は絶大で、ロシアの文豪ドストエフスキーが「天才によって創られたあらゆる書物の中で最も偉大で、最も物悲しい」と評し、ハイネやフォークナーも生涯の愛読書にあげ、ミラン・クンデラも自書で取り上げている。

さらに、その影響力は文学に限らず様々なジャンルの芸術家に波及し、音楽ではリヒャルト・シュトラウスが交響詩を作曲し、映像では1933年のフランス映画や数多くのTV映画が制作されている。

舞台ではアメリカの作家が脚色したミュージカル『ラ・マンチャの男』が有名で、日本でも松本幸四郎 (9代目) の当たり役として高い人気を誇った。1972年にはピーター・オトゥール主演で映画化されている。

また2002年には、世界54か国の著名な作家100人の投票によって、ノルウェー・ブック・クラブが選定した「史上最高の文学100選」の1位に選ばれる。